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夜明け後(よあけあと)
−木曾紀行−
天下の晴れ女と晴れ男が京都と横須賀から馳せ参じた。さて、その木曾道中の顛末(てんまつ)やいかん。
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1.恵那山
6月26日、朝6時過ぎ、私こと、山ボケ猫は名鉄グランドホテルで目を覚ました。昨夜、豊橋で仕事を済ませて、チェックインしたのは11時半を回っていた。夜はすでに明けていたが、空は重く、暗かった。道行く人は傘をさしており、路面は黒く濡れている。中止の電話がよく来なかったものだ。東西から駆けつけてくる二人の奇特さは脱帽ものである。
朝7時過ぎ、チェックアウト。京都から藤田がホテルロビーへ登場。シティーおばさん二人が1Fへ降りると、高級シティホテル玄関前に、場違いな工事用バンみたいな、一際、泥まみれの汚い車が、背部ドアーを開けっ放しにして停車していた。そして、そのそばから、短足を一層強調するかのように、だぶだぶの脱色し切ったジーンズを腰にひっかけて下げ気味にはいた、草履履きのおじさんが、赤黒い顔に人懐っこそうな笑顔を浮かべながら、こちらへ寄って来るではないか…。嬉しさと人の良さと照れ臭さを、50男がこう臆面もなく表情に出せるということは、奇跡的なことである。こうして、横須賀を未明の2時に出発したアッシー、佐藤を加えて、3名のパーティーは8時前にホテルを出発したのであった。
なお、佐藤は畏れ多くも小西政継隊長選抜の1983年K2登山隊の隊員である。ガッシャブルムU峰という、“もっともやさしい8000m峰”の登頂が評価されたらしい。最近、現役復帰をもくろんで、仕事の合間に、厳冬期富士、白馬主稜、五龍などの日帰り単独登山をこっそりとしている。来年はマッキンレーをやりたいようである。2月の40何回目の富士山では天才的な方向音痴ぶりを発揮し、御殿場方向へ降りてしまい、樹林帯でビバークしたとのことである。それは、忘れもしない、8年前の3月、大荒れの富士山の下山時に藤田と山ボケ猫を誘導した道と全く同じだったらしい・・・。ほとんど空身だったので、30分毎に寒さで目が覚めてしまい、足の指のマッサージをして凌いだとのことである。いつものことだ・・・。
小牧インターより高速へ入る。中津川でICでおりたらしいが、山ボケ猫は夢の中。気がつくと、人気のない道を走っている。佐藤が例のズーズー弁で、「コンビニ、ありまっすよねえ」などと、私の、寝起きのモーローとした頭から判断しても信じがたいことをいっている。当然、人家はますますまばらとなり、やがて完全な山道に突入していった。水分も食料も心もとないが、まあ、何とかなるだろう。9時55分、登山口の黒井沢到着。山ボケ猫はドロミテの登山靴に、藤田は赤いバックスキンの登山靴に履き替えた。佐藤はダイクマで1980円で買ったスニーカーに履き替えた。
10時15分、出発。しばらくは沢沿いの車道。工事現場で、仮設橋を渡って、ようやく山道に入る。右手の沢に水量が豊富で気持ちが良い。10時45分避難小屋。すぐ上の沢の橋元で8人パーティーを追い越した。この8人は、私たちののんびりペースにもかかわらず、追いついて来ることがなく、“下山途中だったのではないか”などと、さまざまな憶測の肴になった。しかし、私たちが下山してくる途中でようやくすれ違った。テントで山頂で1泊とのこと。翌日の、豪雨をどう凌いだことか。なお、山中、会ったのは、この8人パーティ以外は、やはり下山途中で擦れ違った単独の男性のみであった。今どき、稀な静寂な100名山であったが、「豪雨警報の出ているこの日に山に来る方がおかしいっすよねえ」という佐藤の説にうなづく藤田と山ボケ猫であった。
道はトラバース気味に登っていく。で、ところどころで、沢の中を歩いたり、横切ったりする。梅雨時の、この数日の雨模様で水量が多くなっているのだろう。11時20分〜30分、沢を渡ったところで1本。
11時55分〜12時20分、野熊の池で2本目。意外と大きな澄んだ池。ここで休まない人は、一層、気が変というポイントである。空腹に耐え兼ねて、早々とランチしたいと騒ぐ人がいた。藤田がお寿司やら大学芋やらを次から次へと出してくれる。山ボケ猫と佐藤が、「(食料を)持って来なかった甲斐があった」と、歓声をあげる。藤田が、ただ一人、クールに「まだ半分も来とらんのに」と、非難がましい視線を浴びせていた。
すっかり日が照り始め、「まさか日焼け止めが必要になるなんて」とうれしく愚痴りつつ、藤田と山ボケ猫はクリームを美しい顔に塗り付ける。しかし、鏡を持って来ていなかったので、まだら模様になってしまっていた(かもしれない)。野熊の池から出発した直後は身(腹)が重く、さすがに後悔の念がよぎる。が、ほどなく、峠に到達し、尾根を北東にたどることになる。それにしても、あえぐような急登のない、登りの優しい山である。いつの間にか高度をかせいでいるという感じである。
13時10分から15分、山頂を前にしての一休み。前方にこんもりした、緑に覆われた山頂らしきピークが見える。藤田が、“こんなラクな所で休んじゃって。ああ、いやだ”という、非難がましい表情を露骨に浮かべていた。稜線から、右手、東側の遠方に尾根が重なって、のびているのが、ぼんやりとながら眺められた。南アルプス方向と思われたが、さすがに南は見えなかった(と思う)。
山頂を南側から行き過ぎるように巻いて、小屋のある広場に出る。あまり立派な小屋なので、有人でビールを売っているに違いないと思わせたが、藤田は無人だといいはった。ひとまず、“5分”と書かれた山頂へ急ぐ。14時9分、2191mの山頂。展望はない。藤田は、「これが100名山の頂上?」といって、不満気である。他方、山ボケ猫は木曾山脈初の山頂を踏むことが出来て、満足した。古びた木造の御宮、恵那権現社が片隅にあり、古くからの信仰の対象の山であることをうかがわせた。ちなみに山名は天照大神の胞衣(えな)を納めたことに由来するという。
佐藤が藤田に掛けを持ち掛けた。「小屋でビールを売っていたら、藤田さんの負けで、僕にビールをおごって下さい。もっし、売っていなかったら、ビールはありませんから、僕は何もできません」。さしあたって、ビールに飢えた藤田は飛ぶように下山していってしまった。藤田は飯粒を口にしない日はあっても、ビールを流し込まない日はないという人である。結局、小屋は立派な無人小屋であった・・・。
15時下山開始。“げ、こんな坂を登って来たのん?”。以前は苦にならなかった下り坂の急なことが気になる。ザックに刺してあったビニール傘を杖にする。しかし、そんな坂もわずかしか続かなかった。地図に水場と記された、沢水の、甘く、おいしかったこと。
途中、円柱形で、裾がフリルのようにひらひらと切れ目の入ったピンクの可憐な花を数輪みつけた。しかし、藤田と佐藤は目もくれずに下っていってしまった。山ボケ猫よりも花に無頓着で、その存在に気づかない同行者というのは久しぶりだった。最近の山ボケ猫の山仲間は、どんな微少な花も見落とさない、変質的、いや、立派な博学者ばかりになっていたために、一人落ちこぼれてコンプレックスの固まりになっていたので、“へっ、こいつら、私より駄目なんだ”と、驚きつつ、心の中で快哉を叫んだ。なお、高山植物図鑑によると、“コイワカガミ”らしかった。そのほかに、花は見なかった・・・。
16時10分〜25分、野熊の池。傍らの避難小屋は小降りだが、ちょっと素敵なログハウスの個室だ。泊まりたい気がしてしまうが、泊まるためにだけ来るのは大変だ。17時滝。苔むした沢の雰囲気が深山幽谷風で、和風庭園のようだ。恵那山は、木立が鬱蒼としていて、時折、沢をわたる点など、祖母山に感じが似ている。
17時15分、車道に降り立つ。17時45分、駐車場。
18時、御嶽山へ向かう。恵那山の方向は、夕刻の雲に覆われてしまい、前山がぼんやりとみえるだけとなっていた。「恵那山て、どういう形の山なのかしら」と、山ボケ猫。木曽は7度目の藤田も、「さあ、私もみたことないのよ」。なお、中央自動車道からは立派な山容としてとしてみられると、帰京後、聞いた。
途中、コンビニで明日の食料を買い込む。藤田が野熊の池から携帯で予約した御嶽山4.5合目の和風ペンション銀(しろがね0264-48-2062)を目指す。といっても、再び、山ボケ猫は車の中で熟睡していたので、気が付くと、真っ黒な坂道を、二人が、ああだこうだと言いあいながら、車は疾駆していた。夜20時15分にようやく辿り着いたペンションの女主人は、夜遅い客にいやな顔もせず、夕食を用意してくれた。ブタのスペアリブなど、山奥の民宿で食べられる料理の域をはるかに越えた味だった。建物は5年目になったということだが、とても清潔で、お勧めの宿である。一泊8000円。夜半、枕辺を雨音が打つようになり、それも次第に強くなっていった。
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2.日曜日にあったこと
6月27日、で、日曜日は夜が明けたら本降り。車で行けるところまで行ってみることにする。途中、スキー場が雨に煙っていた。民宿や御店の数は多かったが、開業している店はほんの数軒にみえた。行き止まりまで立派な2車線道路だったが、所々で、道路が川になっていた。「3人の男女が乗った車が豪雨で流されました」とか、「落石で潰されました。何故このような日に3人はこんな所にいたのでしょう」と、TVのレポーターまがいの実況中継をしながら進んだ。駐車場では雨が縦ではなくて、横に降っていた。つまり、台風みたい。で、誰も車から一歩も出なかった。この車の荷台には、使い古されたドロドロのスニーカーが、しわくちゃのネクタイとひっからまったりしながら山積みになっていたが、それでも、車の中は天国に思われた。やはり、独立峰は雨風が半端じゃない。3000mの独立峰て、富士山と御嶽山、乗鞍以外にあったっけ?
下の方へ降りてきたら、雨脚が弱まっていた。清滝なる滝があったので、見物。今度は、3人とも素直に下車する。豪雨の雨水を精一杯受けて、滝の水量が爆発的に増加していた。滝のそばに行くと、風速40mの世界で、爆風で飛ばされそうだった。そんな中、更衣所の入り口に、白装束の50才前後(?)の女性がびしょぬれになって立っていた。行を終えた所だろうか。何を祈って、このような日に滝に打たれたのであろうか。身内の病、夫の不貞、生活苦・・・。現代風にすると、家庭内暴力、不倫、ローン地獄・・・。うーむ、推論によって、各自の深層心理がわかりそうである。それにしても、山全体に霊気を感じる聖なるエリアであった。それは、あながち、随所に見られる霊神の碑や像のためばかりではあるまい。天下の晴れ男と晴れ女のパワーを蹴散らしただけのことはあるわい。
麓の“うしげの湯”を目指す。途中、キヤノンのおっさんこと、中桐氏に電話する。携帯を3台持っているとのことにて、いつも留守電になっているという2台目の個人用にメッセージを入れる。1台は仕事用、1台は個人用、で、3台目はなあに・・・。藤田が、“木曾の御嶽山”を歌った。私は、「これから混浴に行くところです。今度、一緒に行きましょう」と吹き込んだ。佐藤が、「中桐さんが感動するでしょう」といって、自らも感動の涙をこぼした。
うしげの湯は、幸いか不幸か混浴ではなかった。露天風呂の垣根には遅咲きのつつじが雨を受けて濡れていた。湯は少し錆色の入った白濁色。湯上がりに、佐藤と藤田はビール飲む。山ボケ猫はアイスクリームを食べる。NHKの素人のど自慢大会を妙に熱心に見入ってしまう。つくづくと、“休日してるんだなあ”という気分になる。藤田は、合格の鐘が鳴った人に、「この程度に歌える人はいくらでもいるわ」といって、小鼻をヒコヒコさせた。次に京都でのど自慢大会があった時に岡村孝子を歌う小学校教諭がいたら、それは藤田であるに違いない。雨足は弱まり、やむ気配となっていた。「今から御嶽山へ行くんでしょ。僕は下で待ってますから」と、佐藤。
国道19号を目指すが、今度は道路が川どころか、冠水して湖になっていた。“いつ浸水するか”、“いつエンコしてしまうか”と手に汗を握りつつチャプチャプと通過した。百草丸のお店があったので、みやげを買込む。御岳茶が香ばしく、美味であった。店を出ると、佐藤は何と、“湖”の方に戻りかけようとしたので、山ボケ猫と藤田が泡食って、おしとどめた。このような方向感覚の人が登山家であるというのは奇跡に値する。今後、佐藤のことを、“奇跡を呼ぶ男”と呼ぼう。
国道19号を南下する。寝覚めの床は濁流に覆われて見えなかったのに、100円の観覧料は徴集されてしまった。越前屋という創業350年のおそば屋さんでおそばを食べた。木曽なのに何故『越前』なのだろうか。しつっこくも20数年前に松江で、『蔵王』という安ホテルに泊った時のことを覚えているのは、その時の違和感が強烈であったせいだろう・・・。越前屋で、山ボケ猫は塩尻に出て中央線で帰った方が早いと思い、佐藤に近傍の駅で降ろしてほしいともちかけた。しかし、月曜と火曜日に、名古屋の仕事をでっちあげてしまっていた佐藤は、名古屋までの退屈なドライブに、お供たちを巻き添えするという密かに暖めていたアイデアを放棄しようとしなかった。で、8000峰登頂者らしい、硬い決意と強固な意志をもって、山ボケ猫の申し出を完璧に無視したのであった。なお、山男や山女というものが、仕事にかこつけては近傍の山を漁ってくるという誤解があるが、これは佐藤のような人がいるせいであり、心外なことである。さらに、読者の誤解を招かないように付記すると、山ボケ猫は東京に住みながら佐藤に会うのは3年振りであったが、藤田は京都に住みながら1週間とあけず佐藤から電話をもらう(らしい)。
道路をパトカーが血相を変えて飛んで行った。雨が降ると南木曽のあたりで通行止めになることがあるとのことで、通行止説も出た。店の人がどこかに電話して確認してくれたところ、別の道路だった。
国道沿いの木曽川が氾濫しそうなほど荒れ狂っていた。車から降りて、しばし見入ってしまった。平和な市民の生活のただ中を、このように、自然が暴力的な底力をむき出しにすることがあるということが驚きだった。実は、そういう破壊的なパワーと紙一重のところに人々の日常があり、それは例え、東京に住んでいたとしても変らないかもしれないのだ。
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梅雨空に赤き川面は煮えたてり
深き土の臭い濁流に逆巻ける
木曽川に龍らは背鰭(せびれ)を打ち合えり
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ううむ、ちょっとクラシックというか、漢文の素養がにじみ出てしまうなあ。
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後書:今回は趣向を変えて、それぞれにユニークな登場人物を書込んでみました。御意見、御批判など御聞かせいただければ幸いです。
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発行日 : 1999年7月21日
定 価 : 随意(佐藤のマッキンレー登山のカンパ)
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