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8月にニュージーランドを滑る
――― “魂の聖地”で冬をエンジョイ ―――
<日 程>
2006年8月8日(火)〜8月18日(金)
<メンバー>
ふくろうおじさん、ナオコさん、シェフ、くまさん、山ボケ猫
ガイド アル、サオトメさん
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<記 録>
8月9日(水) 快晴 N.Z.南島メスベンへ
8月8日 東京勢は18:15に成田をNZ090の直行便で飛び立ち、約13時間でクライストチャーチに到着。時差は3時間で、現地時間9日8:40だ。シェフによれば、「夜汽車に乗って出発して、朝、目的地に着くような気軽な感じ」で、身体への負担が少ない。陸地上空に入ると、雪をいただく山波が屏風のように見えたが、平地は雪が少なく、意外と茶色い。空港でカフェラテを飲む。グラスの中の茶色が二層にわかれていて、おしゃれ。今回の旅は文明地だったなと思う。機内のにわか勉強によれば、ニュージーランド(N.Z.)は立憲君主制で、総督と首相はともに女性とのこと。日本との何たる違い。女性天皇にいちゃもんをつけて、民意も問わないままに、老齢の男性政治家だけでやみくもに男系天皇制へ戻してしまったのだから。10:30、路線バスで西へ約100kmのメスベン(Methven)へ向かう。街を抜けると牧場になり、うじのように羊がうようよしている。子羊たちが車に驚いて、お尻を向けて逃げ去っていく。このような愛らしい動物をラムなどと称し、グルメの餌食にする人類の行為を蛮行と言わずして、何を蛮行と言おう。約1時間で宿泊地ブリンクリー・ビレッジ(Methven Brinkly Village)へ到着。敷地にはロッジが2列に整列して建っている。ロッジは1棟が左右と1、2階の4つのコンパートメントに別れ、1コンパートメントは3寝室2台所2浴室リビング付きで広々としている。街に昼食を食べに行った。遠景に、いかにもスキー場らしい雪原を山頂に頂いたメスベン山が眺められた。アーリーアメリカン調のレストランでピザをとった。大量にかけてあるウスターソースが甘過ぎて、食べきれず。半分程度をテイクアウトした。ロッジに戻ると関西勢が到着していた。夕方、ガイドのサオトメさんがロッジに来て、打ち合わせをした。明朝、標高1200mのカメロン・ヒュッテにヘリで入るが、ヘリポートから小屋までの10kmに登山道はないという。その後、スーパーに行き、食糧の買い出しをした。シェフがキューピーマヨネーズや鮨酢があると喜んでいた。シェフは料理にただならない興味を持ち、造詣が深いことがうかがわれた。夕食はガイド事務所の隣のレストラン“Last Point”(最後の駅停)でとった。カレー味のジャガイモスープはまあまあだったが、私の焼きマグロは今一だった。サーモンのナオコさんもしかり。ビーフのサオトメさんが当たりだったようだ。シェフの息子さんと友人も一緒で、彼らは一カ月前からメスベンに滞在してスキー三昧の生活を送っているという。友人はシェフの息子さんがお料理を作ってくれるといって喜んでいた。子は親を見て育つし、料理好きは人を喜ばせる趣味ではある。21:40 ホテル帰着。星がきれいで明日は晴天か。
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8月10日(木) 快晴 ジャガード谷を滑る
7:00起床。ジャガイモ煮を食す。7:45、部屋を出発。ガイド事務所で地元ガイドのアルと合流し、ヘリ乗り場へ向かった。約1時間のドライブの間、人もいないし、車にも遭遇しないことにほとほと感心する。雪がなく、不安になるほどだ。河段のある大河Rakaia Riverを遡行して行く。パキスタンの奥地でガンジス川を遡行した時を思い起こさせた。ツンドラのように荒涼とした荒野の奥は、映画“The Lord of the Rings”のロケ現場になったという。壮大なセットは撮影後、壊されたそうだ。日本だったら絶好のアミューズメントになるだろうが。ここは地の果てでは観光客も見込めないのか、自然保護の立場か。
9:30 ヘリ発着場に到着。監視していたかのように、ヘリがすぐ飛んできて、3人2度に分かれて乗った。狭い谷あいを低く遡行し、10分ほどで台地上にあるカメロン小屋に到着した。突然、真っ白に変じた世界に、緑色の側壁と紫色の扉が印象的な小さな小屋だ。慣例なのか、慣例なのか、ジャガード・コル(Jagged Col)まで送ってくれるという。日帰り荷物をあわただしくザックに詰め込んで、再度、ヘリに乗り込む。ジャガード・コル(2255m)は、切り立った山岳のただ中の、幅の狭い稜線上にあった。小屋側のカメロン氷河はクレバスがあって降りるのが難しそうだったが、反対側のジャガード氷河は、幅広く滑りやすそうな谷だ。雲のまったくない、こわくなるような蒼空の下、広大な斜面を7つの点となって滑り降りた。約800m降りて、12:00から30分ほど休み、今度は尾根をはさんで南側の谷をシールをつけて登り返して行った。暑い!ズボンのサイドファスナーを下ろす。しかし、ぺグ・コルへ近づくと冷たい風が吹き降りて来て、休んでいると寒くなった。15:05、ペグ・コル(2004m)に到着。サオトメさんは、現地の人の発音から、“Pig Col”と思っていたという。一休みしてから、少し雪面が硬くなったシャンパーニュ(Champagne)谷を滑り降りて、16:40 小屋に帰着した。戻ってから、手違いからコンロがないことが判明した。サンドイッチなどの冷たいものをとって、19:00、早々に休んだ。ヘリによるコンロの宅配を無線で手配した。
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8月11日(金) 快晴 ビーグル・コルを目指す
なかなかヘリが来ず、あきらめて出発しようとした頃にようやく宅配ヘリが来て、念願のコンロが届いた。ヘリの中には、ヘリツアーの客が乗っていた。上は快晴だったが下には雲があり、出発が遅くなったとの由。すばらしい好天の半日を無為に過ごすことになって残念。11:55 出発。小屋の背後のビーグル・コルBiggle Colを目指して、トラバースしながら高度を稼いでいく。1590mで一休み。ヘリツアー日和で、数台のヘリが頭上を飛び交い、小屋の脇に着地する様が見られた。前日に、新調したテレマーク板で苦労したくまさんがここで降りた。ビーグル・コルの斜面に入ってから、冷たいものにあたったのか腹痛でナオコさんがサオトメさんと降りた。アルとふくろう氏と私の3人が2000mのコルまで登った。あと30分あれば2238mの稜線まで出られるだろうとのことだったが、雪面が凍ることを懸念して下山した。16:15小屋に帰着した。この日は出かけなかったシェフが半日かけて仕込んだステーキを夕食に賞味。一流レストランの味をしのぐステーキだった。
19:00、トイレに外に出ると、夜空が無数の星で輝いていた。月の出が遅くなっているので、星が良く見えるのだろう。じっと見ていると、くらくらしてしまいそうだ。銀河が大きく夜空にたゆとい、さそり座が氏U字型にその流れをまたいでいた。南十字星も容易に同定された。くまさんが、「あれがアンタレス、これがスピカ」などと、教えてくれる。銀河以外の星雲も、望遠鏡でみるように立体的に濃淡をもって赤黒く燃えていた。雲かと見間違えるほどだったが、地上の雲はその下のほの暗く漂っているのだった。星雲は数十億年後に銀河と合体するという、隣の星雲だろうか。その合体にも数億年がかかるという。なんという時間の規模・・・。そのとき、地球はどうなってしまうのだろうか。しかし、何十億年かの先を心配する前に、数百年の単位で日本人は稀人種化し、数十年の単位で地球温暖化が懸念され、数年単位で核拡散による人類滅亡があぶないかもしれないのだ・・・。
19:30、アルが定時無線で天気予報を聞いている。雑音と訛り(?)で、ヒアリングできない。五月女さんの通訳によれば、明日の午前中は天候がもつが、明後日からくずれると、五月女さんが通訳した。ちなみに、アルの本名は、Alistair Edward Mooreといい、奥さんはクライストチャーチで医者をしているとのことだった。最初の山がここらへん、つまりアロウ・スミス山群の土地っ子、つまり地元出身とのこと。
2:20にトイレに行くと、天空の正中を満月が制し、こうこうとして真昼のごとし。明かりは不要で、先ほど栄華をきわめて饗宴をくりひろげていた星たちは、山際に控えめに光をともしているだけだった。空飛ぶ円盤が舞い降りて来ても不思議ではない気配に満たされていた。妙に暖かいのが気になった。シュラフの中でなんとなく寝付かれないでいると、突然、雪崩のような轟音が響き渡り、耳をこらすとそれが突風の音とわかった。時計をみると3:00だった。天候の激変とは、こういうことかと思う。
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8月12日(土) 曇り時々雪 シャンパーニュ谷
6:50 起床するが、外は暗い。アルが、「みぞれだったが、今はやんでいる」という。8:30 展望の得られない中、出発し、シャンパーニュ谷を1時間半登った。そこから滑りおりて、11時過ぎに小屋に滑り降りた。シェフとくまさんは待機していた。ランチはシェフによるクリーム・シチュー・スパゲッティー。昼を過ぎると、青空がみえて明るくなってきた。しかし、窓から見えるペグ・コルには壮大は雪煙がたなびき、風が強そうだ。読書やスケッチをしたり、シュラフにくるまって蓑虫のように昼寝をむさぼったりして、午後を過ごした。ふくろうおじさんさんが、「身の丈の本を読む(向井敏)」とか、「オーパ(開高健)」の本の話などする。オランダの友人の結婚式に出席した話は面白かった。学識と話題の豊富さには驚かされる。夕食は、シェフがカレーライスを作ってくれた。いずれも絶品だったが、シェフはカレーにバナナを入れ忘れたことを残念がっていた。カレーについては奥様のほうが腕前は上とのこと。夜間、冷えてきた。
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8月13日(日) 快晴 カメロン氷河遡行
6:30起床。天気予報がはずれて、ピーカン的好天だ!カレースープとパンを食べて、8:20全員で元気よく出発。近辺の最大氷河のカメロン氷河を遡行して行く。10:10に南北カメロン氷河分岐に到着した。そこから、東へ右折して、セラックを越えて北カメロン氷河を詰めた。風の通り道なのか、時折、初春の山のように、ブリザードが勢いよく雪面を這って吹き抜けた。右岸の岩の稜線上にブロッケン現象がみられ、青空に稜線の凹凸が映っていた。12:20氷河左岸の陽だまりのカールの源頭(2262m)でランチをとった。陽の移動とともに日陰になってしまうと、寒かった。シェフは、膝か胸の痛みのために、下の方の、日の当たらない風の吹き通しで休んでいた。後で、「気持ち良いくらい冷えた」といっていた。20代の頃の初登頂争いに血眼になっていた頃の思い出に浸っていたのだろうか。ふくろうおじさんとくまさんはここからアルと引き返すという。12:40、サオトメさん、ナオコさん、私の3名で、ジャガード・コルを目指すことにした。スケールの巨大さに遠近感がずれているのか、意外と時間を食う。カールをぐるっと経巡って、ジャガード・コルへ回り込む最後の尾根裾まで行くと、コルを吹き抜け降ろしてきた風が急に冷たく感じられた。サオトメさんが偵察に行ったが、雪面が硬くなってきて厄介そうなので、引き返すことにした。振り返れば、正面にアロウ・スミス山群主峰(Mt.Arrowsmith,2781m)が午後の光を浴びてそびえていた。下山時、サオトメさんが腕時計型GPSでデータをとっていた。本日、登った標高差は921mとの由。あと、100m強だったか。南北カメロン氷河合流点に戻ると、はるか、カンタベリー平原を越えて、海が見えた。ちょっと見晴らしの良い所からは海が見えるという点は、島国の日本とN.Z.で共通する点だ。14:37、小屋に帰着した。夕食はシェフ製ミートソース・スパゲティー。夕食後、アルに皆から感謝の挨拶をする。アルにとってアロウ・スミス山群とカメロン谷は、マオリー語で“トゥワングワイワイ”、つまり大地に一番近い、魂の聖地のような場所ということだった。
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8月14日 曇り、時折雪 停滞
下山予定日だったが、天候が悪く、小雪模様でお迎えヘリはフライト不能。午前は小屋で過ごし、午後、サオトメさんと女性人2名は裏山に滑りに行く。200m位登り、滑降。意外と雪質が良く、儲けた気分になる。夕方、雲が晴れたので、荷造りをして、ちんまりと待つ。しかし、16:30の交信で本日のヘリお迎えは無しと判明。小屋周辺は雲が上がっていても、ヘリの離陸地点は視界が良くないようだ。ちょっと沈痛ムードで再び荷を広げた。明後日の早朝のフライトで帰国予定の五月女さんは、明日、迎えが来なければ道なき道を下山しなければならず、気が気ではなさそう。私は飲み食いばかりして、ミルク飲み人形のようにトイレに通った。
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8月15日(火) 晴 下山とMt.Hutスキー場
6:30 起床。夜間、男性陣のいびきが少なかった。運動量が少なかったせいだろう。朝の交信が行なわれ、緊張した雰囲気がただよう。あまり当てにしていなかったが、8時過ぎにお迎えヘリが来た。谷筋を低く這うように飛んで、原野の発着場に戻った。出発時と違って一面白い雪景色になっていた。地面には棘や茨系の潅木が散在し、荒涼とした印象で、パミール高原のようだ。空は横走し積層する雲の合間から太陽がほの明るく輝いて、天地に陰影を与え、眺めていてあきない風景だった。約1時間でメスベンに戻った。ホテルでシャワーを浴びて、11:30出発。街でサンドイッチのランチをとってから、12:30、Mt.ハット・スキー場に向かった。車で1時間だった。駐車場にはケアという、オウムに似た、濃緑のラグビーボールのような形をした鳥が餌をあさっていた。いたずらオウムとも言われ、日本のカラスのような存在らしい。スキー場は標高2300m位。ニセコに似たスキー場で、雪質はとても良い。人は少ないが、日本人が多く、日本語が飛び交っていた。山頂からは360度の展望で、はるか南西には台形のニュージーランド最高峰Mt.クックも望めた。Mt.ハットの山頂まではほんの15分程度と思われたので、とりあえず、一滑りしてから戻ったら、ルートが閉鎖されていた。午後遅くなるとアイスバーン化するので、閉鎖されてしまうらしい。テレマークで別行動をとっていたくまさんだけは先に登って、登頂してきたという。残念。16:00までゲレンデとオフピステを滑って、大満足。北側のカンタベリー平原は、午後の傾きかけた日を浴びて、広い原野にアラカイ川が蛇行し、壮大な眺めだった。夕食はホテルのそばのレストランに行く。皆がステーキやラムを注文した。しかし、そのボリュームたるや、日本人の常識と予想を凌駕するもので、1人前が3,4人前。ほとんどをテイクアウトする羽目になった。ふくろうおじさんはラムがおいしいということで上機嫌だったが、お酒に付き合える人がいなくて、他人ごとながら、気の毒。ふくろうおじさんの次に“飲める”のが、生ビールジョッキ1杯がようやく飲める私で、シェフとくまさんは舐める程度、ナオコさんはゼロ状態だったのだから。
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8月16日(水) 快晴 ヘリ・スキー
これ以上ないピーカンになった。町のショップでファットスキーを借りて、ナオコさん、シェフ、私の3人でヘリ・スキーに参加。郊外の牧場がヘリ発着場になっていた。参加者は24人で2/3が日本人。6班に分かれ、私達4名にはアルがガイドでついた。場所はアロウ・スミス山群で、ヘリでやせたリッジに舞い降りる時の高度感!1本目がSuper Ballで、標高差の大きいきれいな斜面を滑りおりた。2本目のAsburton Glacierは源頭部を右にトラバースしてから滑降し、その後の平らな部分が長かった。3本目のDeep Southをすべって、たどりついた広場で豪華ランチ・タイムとなった。全員集合して、チキンのから揚げ、サンドイッチ、果物、スープ、それにアルが楽しみにしていたチョコレートケーキなどを食べた。4本目のBiggle’s Choiceは5日前に行きそこなったコルからカメロン小屋側に降りた。滑り始めてすぐ、河野さんに続いて斜面を横切ろうとすると表層雪崩が誘発されたので、やり過ごした。下のほうで日本人客が2人、休んでいた。スピードについていけず、取り残されたのだろう。最後のWire Fence Creekではまっすぐな斜面をまっすぐに降りた。5カ所のコルから5本、累積標高差3800m位すべったか。アロウ・スミス山群の山容は、彫刻刀で殺いだようなダイナミックさに欠けると思っていたが、へリ・スキーをしてみれば、それなりに楽しめて格好な所だ。夕食は日本食レストランでとって、胃腸を休めた。
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8月17日(木) 快晴 クライストチャーチ
6:00、起床。そうめんを食べる。クライストチャーチへバスで移動した。アベニュー・モーター・ロッジに荷物を置いて、隣のカフェでブランチをとってから、観光と買い物へ行った。私はウールのセーターやプロポリスの歯磨き粉を買う。ナオコさんは買い物に一番熱中している。シェフは、うるさく品定めをしながら、愛妻への土産を吟味している。中心街の動物博物館でキウイを見る。人工的に作られた夜の闇の中に貴重種がほのかに見えた。昼過ぎから、靴を買いたいというおじさまグループと、ナオコさん、くまさん、私の若手グループに分かれた。中華レストランで和食もやっているお店に入った。おそばの味は???。探し当てた地図屋で時間のたつのを忘れた。興味深いお店で、ニュージーランド人マロリーの伝記本などもあった。MT.クックの地図を買ってしまう。登れる日はあるだろうか。道すがら、蜂蜜の飴やウールの靴下なども買い足す。クライストチャーチはオークランドよりも小さな街で、人影も少ない。メインストリートこそ、一応、にぎやかだが、1本、脇路へ入ると場末の感じがする。街を横断して美術館へ歩いて行った。一巡してから館内のカフェでカシスジュースを飲んだ。大学の庭に樹を見に行きたかったが時間切れアウト。ナオコさんは疲れたのでタクシーでホテルに帰るという。とりあえず、メインストリートに戻り、再び土産物店に吸い込まれたとたんに生気が蘇り、目がらんらんとして買い物魔ぶりを発揮した。結局、沢山の土産物を持って、すたすた歩いて帰った。夕食はカフェ・ヴァレンチーノでとった。ふくろうおじさんはカンタベリー・ラムローストがボリュームと風味満点と御満悦で、ついでにウエイトレスにも御満悦で、イメージどおりのレストランだったらしく、上機嫌だった。
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8月18日(金) 快晴 帰国
6:00 ホテルを出発。関西勢のナオコさんとくまさんはその1時簡以上前に出発した。7:40クライストチャーチをN506便で出発。空港で私が皆の荷物を載せたワゴンを引っ張っていると、ふくろうおじさんが若い女性に、「あなたはレディーにあんなことをさせて良いのですか」と、注意されたと、あわてて飛んできた。約1時間でオークランド着。西海岸のエドモント山の白いコニーデ型の山容が青い海面とコントラストをなしていた。空港での乗り継ぎ時間は1時間あったが、乗り継ぎ便出発場所が遠く、出国税の支払いもあり、時間的にギリギリになってしまった。せかせかと歩いている最中に増山さんに会って、お互いに驚いた。Mt.クック登山に行くという。9:40 オークランド発(NZ099便) 18:30成田着
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