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製作著作山ボケ社
無断転載を禁ず

バケーションには難行苦行


ワスカラン(ペルー)山頂にて 午前4時。テントの外は真っ暗だ。ヘッドランプの灯りが白い雪面を丸く照らしている。アンザイレン(ロープで体を結び合うこと)して、2人づつ3組のパーテイーで出発する。しばらくは南峰と北峰の間の鞍部を行く傾斜の緩いルートだ。微風。ペルー最高峰ワスカラン(6655m)の絶好のアタック日和。
 斜度が突然、増した。いよいよドーム状の北峰の登りにかかったのだろう。時折、ガイドがクレバス(氷河の裂け目)の所でルート工作するのを待ちながら進んだ。
 急斜面のただ中で初めて休みをとった。歩き始めて2時間が経っていた。背後に南峰が視野を覆うばかりに大きく、新鮮な朝日を浴びて、赤く浮び上がっていた。南峰の高さを目測すると、自分がいる高度の目安がついた。約2/5、200m。とすると、あと3時間、300m。この時、初めて、『登れる』と思った。足下には平らかな鞍部が覗け、頭上には白い斜面が青い空を画していた。
 斜面は斜度を増して容赦がなかった。薄い空気の中から酸素を貪り食わんと、雪面をみつめながら呼吸があえいだ。1呼吸で2歩のペースだったのが、いつしか4呼吸に1歩になっていた。
 白い斜面を登り切るとポッと支えを失ったように群青色の成層圏に踊り出た。白い雪原が右肩上がりにかすかな傾斜を持って広がっていた。頂上プラトーの左端に出たのだ。急に足早やになって天国の領域に踏込んで行った。足早になった分、呼吸が乱れた。
 午前9時。頂上に立った。ペルーアンデスの白い山波が、黒く深い谷を挟んではるか遠くまで、これ以上はない明晰さで山肌を刻んでいた。
 1995年夏、ペルー最高峰ワスカラン登山の話が持ちかけられた。時、折りしも、病院棟の改築中。21日間の休みをとるには、それ以上考えられないタイミングであった。6655mの標高は私の目下の最高経験高度となった。
 高校時代から東京近郊の山を歩いていたが、海外に目を向けるようになったのは、1988年年末にパキスタンの北西部フンザに行って、カラコルムの山々を目にし、辺境の地の風俗に触れてからからだろう。その1年後にボルネオ島のキナバル山(4101m)に、さらにその半年後にアフリカのキリマンジャロ(5895m)に登った。
 登山である以上、体力的に苦痛も伴い、特に高所では酸素が薄くなり、その苦しさは倍増する。酸素分圧は標高5300mで地表の半分となる。キリマンジャロに登る前に、サバンナでキリンがのどかに木の葉を食んでいる姿を眺めていると、折角の休暇にあえて難行苦行をしようとする自分がつくづく酔狂な人間に思われた。キリマンジャロの山頂は予想通り、お釣が来るほどの苦行であったのだが、私の酔狂ぶりに拍車をかけるだけの結果となってしまった。
 子供の頃にブラジルに暮らしていたことがあり、海外への敷居は低いことも災いしてか、それ以後は、夏休みに1週間から10日の休みを捻出しては海外へ飛出して行かないと気が済まなくなった。今までに中国、台湾、イラン、マレーシア、ロシア、アルゼンチン、メキシコ、オーストラリアなどの山々に出かけ、海外旅行と登山をあわせて経験する楽しみに浸っている。
 イランのデマバンド山(5681m)に登った時には酸素飽和度測定器を持参して血液中の酸素のレベルを測定し、論文にした。これは、「趣味と実益を混同している」と、絶賛された。
 ロシアのエルブルース(5672m)ではブリザード(雪嵐)に見舞われ、顔に凍傷を負ってしまった。口の周囲が黒く変色し、大工の熊五郎さんのような顔になってしまったので、真夏だったが、しばらくは大学の廊下でもマスクをかけていた。
 ペルーで、1週間振りに氷河ではなく岩の上にテントを張った時の地表の柔らかな温もりを思い出す。地球のマントルの熱を、体がそのまま吸収していくようだった。
 パプアニューギニアでは、未開のジャングルの奥深さを自分が触覚を伸ばしてどこまでもまさぐっていくように思われた。そういえば、お婆さんが、私の手を握って、何やら無邪気な顔をして嬉しそうだったけれど、カメラを向けると恥かしそうに逃げて行ってしまったなー。
 アルゼンチンの、「地球の石庭」と名付けた荒涼とした砂漠。カムチャッカ半島コリャフ山の広大な山裾に描かれた縞馬の模様のような雪渓。中国四川省奥地の山腹に半ば埋もれたラマ教寺院とそれを守るお爺さんの笑顔・・・。
 海外登山では観光では訪れない、辺境に行くことが多い。そこでは、めったに見られない風景を目にし、民俗に触れ、また、土地の人々に接することが出来る。これらの経験は私の心のアルバムにとじられている。これは貴重な宝物である。
 さて、今年はどこに行こうかな。その前にどなたか、富士山トレーニング山行に御一緒しませんか?


アバチャ火山(カムチャッカ半島)山頂にて

山ボケ猫 著
"bulletin" The alumni Ass of
Tsurumi univ, School of Dental Medicine

Vol.23 No.1 AUGUST 1999    より転載