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早池峰トレーニング山行 (’00.10.9の記録)
3時、仙台駅でトヨタレンタカーを借りた。宿泊していたホテルに回って、荷を受け取って、トイレで仕事スタイルから山姿へ変身した。あれこれしているうちに、出発は4時近くになっていた。仕事で疲れていたので、運転はO庭嬢にしてもらう。O庭嬢は、東京ではラブ4を乗り回しているが、この夏には、シチリア島をレンタカーを4日間借りて、母親と回ったそうで、運転はいかにも慣れている感じである。東北自動車道を行けども行けども花巻に着かない。なんと、ほとんど盛岡ではないか。仙台ではなくて、盛岡の学会で攻めるべき山であった。前沢のPAで暮れてきた。岳部落の峰南荘に、“あと1時間”と電話をいれる。夕食は6時といわれており、ちょっと、迷惑そう。というわけで、とっぷり暮れた岳部落の到着は7時過ぎであった。峰南荘は岳集落の一番奥、早池峰寄りに位置し、バス停広場に面していた。冷え加減の夕食を食し、朝と昼の弁当をおむすびで受け取る。部屋は山小屋のように狭かった。前のホールにTVがあり、O庭さんが天気予報を聞きにいったが、チャンネルが不明で、予報は不明であった。
朝は空が重い。暗かったせいか5時半起床の予定だったが、30分ほど寝過ごしてしまう。前の道路を川原坊へと、数台の車がすでに向かって行ったようであった。朝食のおむすびはみっしりと重く、1個でコンビ二むすびの3個から4個分のボリュームがあった。コンロでお湯を沸かしてコーヒーを作り、何とかおむすび1個を流し込む。6時20分民宿発。川原坊までの道の淡い紅葉のトンネルが美しい。
川原坊まで6.2km。6時35分着。車を道路端の駐車場に置く。O庭さんは、スキーズボンのような厚手のズボンを履いていたが暑そうなので、ぴったりしたジャージー風のズボンに履き替える。駐車場に自動車は4,5台程度。連休とはいえ、天候に恵まれない、花のない早池峰に来る人間はそう多くないのだろう。本日の登山者は4,50人と見込んだが、この予測はほぼ当たっていたと思われる。小田越へ向かって、バス道路を歩き始める。立派な、立派過ぎる道路だ。途中、紅葉の美しいカーブで写真撮影。中高年を満載したバスがわれらを追い越していった。最前列のおばさんが手を振っていた。山渓社日本100名山登山ガイドによれば、“周囲の樹林がブナからダケカンバとアオモリトドマツに変わると、小田越は近い”。
40分で小田越へ着いた。木立の丈はすっかり低くなっており、ここは亜高山帯の標高ということである。小屋があったのでガイドブックに載っている避難小屋かと思って除きに行ったが、どうも監視小屋のようであり、避難小屋はちと遠いようだった。小田越は駐車禁止のはずだが、われらを追い越していったチャーターバスが、朝まだあさき緑のただ中で排気ガスをがんがんに吐き出して駐車していた。排気音が朝のしじまに響き渡っている。草木の悲鳴が聞こえるような気がした。千葉のナンバープレートをつけたバスの中には運転手しかいなかった。自分一人の暖房のためにエンジンをかけっぱなしにしているのだろう。自然保護という言葉を知らないのだろうか。とても打ち捨てて出発できず、つかつかとバスのところへ行った。扉をたたいて、凛然と、“ここは自然保護地区ですからエンジンを止めてください”という。怪訝げに顔をみせた運転者は、かなり派手目で、多少下品で、ちょっと千葉っぽいといえなくもないシャツを着たおっさんだったが、“すみません”といって、妙に素直に、すまなさそうにエンジンを切った。私を自然保護員と間違えた可能性もアル様子であった。
小田越を7時25分に出発した。鳥居をくぐって山道が始まる。最初は歩きやすい木道で、O庭さんが喜んでいたが、それはほんの歩き始めの一部で、たちまち山道となった。O庭さんの歩き方は上下動が大きかったので、私が先頭に代わった。15分程度歩いて、樹林帯の中で身じまいをなおして再び歩き始めると、夫婦連れが下山してきた。登頂してくるにしては早すぎ、バスツアーの体調不良組か、散策の方と思ったが、前者であったことが、後ほど判明した。森林限界を越えてしばらく行くと、男性1名と女性3名が岩にもたれて休んでいた。バスツアー隊の4人で、陽気な人たちだったが、まあ、端的に言うと、自らもそう名乗ったように、落ちこぼれたということらしかった。結局、登ってこなかった。
草木の乏しくなったあたりから、薄暗くなり、風も出てきた。小田越から歩き始めて1時間くらい経っていた。O庭さんが、“アキレス腱が疲れた”というので、ストックを渡した。予想より傾斜がきついせいか、O庭さんの疲れがやや早いように感じた。霧の中ににうっすらと、険阻に岩がそびえ立っている様子が伺われた。9時過ぎに急登が一段落した、竜が馬場と呼ばれるところで休みをとった。ポットのお湯でレモンテイーの粉末を溶かして飲んだ。O庭さんの半そでのTシャツから出ている前腕が寒そうだった。本人は“長袖のTシャツを持ってくれば良かった”といったが、寒いせいではなく、“怪我をしたくないため”とのことだった。ちなみにO庭さんは涸沢ヒュッテの診療所でアルバイトをしたことがあるそうな。バイト料は出ないが、3食昼寝付の生活が保障されており、食っちゃ寝生活を1週間送ったとの由。患者のほとんどは便秘や軽い風邪程度(診療費は一律私費3000円)であったが、一人、岩をやっていて、前腕に縦に裂創を負った登山者が来てしまったそうである。O庭さん以外は、内科の医者と学生だったので、歯科医である彼女が処置を押し付けられて、彼女が縫合したとのことである。彼女の頭の中には、山で怪我をするといかがわしい医者が登場して、怪しげな治療を施すものだという先入観がインプットされているに違いない。そんなわけで前腕の怪我を心配したのだろう。
レモンテイーを飲んだ所をぐるっと回ってすぐ上に鉄梯子が立っていた。梯子は丸いつるっとした一枚岩に、10mくらいのものが二連に立てかけられている。傾斜はゆるく、その点は気楽だったが、ぬれているのがいやだった。もし、O庭さん以外の、学会場にいた面子を連れてきていたら、ブーイングの嵐になっていただろう。
梯子を通り過ぎて、少し行くと、急に広々と平らになった。楽しい山上散策の雰囲気が漂っている。頂上稜線に出たのだった。しばらく、御田植場の木道をたどる。そんな歩きをエンジョイしたかったが、さほど歩かないうちに頂上のごつごつした岩の塊が霧の中にボーと現れ、それを片付けないとならないようだった。遠近や大きさの見当がつけにくく、意外と、遠く、大きな塊のようだった。その時、霧の中から原色のゴアの雨具をつけて、ザックには新品のカバーをつけた中高年の一群が次から次へと現れた。バスツアー隊の21名ということであった。中高年ツアーの一行の常として、“バスで追い越した人たちですか?”と、人なつっこそうに声をかけてきた。途中で休んでいたメンバーのことを聞かれた。あきらめたのか、遅れて登ってくるのか、推し量っている様子であった。
9時半、山頂に到着。有名な展望もすべて霧の中だ。昨年、焼石岳から眺められたような、鳥海山の、秀麗な裾をひく遠望を期待していたのだが・・・。頂上に古い小さな社、早池峰神社奥宮の祠があって、白く塗られた金属の剣がそこかしこに立てかけられていた。うっかり写真を撮ると神霊写真になりそうだ。が、私はそこで撮ってしまった。O庭さんは賢明にも避けた。小田越から2時間なので、ガイドマップより30分短かったことになる。まあ、快調。ほとんど入れ替わりに夫婦連れが正面コースを下山していった。われらに先行して小田越えコースを登っていたのだろうか。
頂上避難小屋に入った。いざとなれば、3,40名は入れそうな立派な小屋である。ペットボトルの水でお湯を沸かすつもりだったが、うっかりペットボトルを車においてきてしまったようであった。で、コンロで沸かしたのは、ポットにはいっていた茶色のお茶で、これにホットココアの粉末をいれた。何食わぬ顔をしてO庭さんにも供したが、ピュアなホットココアと信じている様子であった。
歩行時間が短いせいか、あまり空腹でなかった。超高密度むすびはとても食べる気がせず、ドラ焼きなどを食べた。小屋の壁際に、麻原がつかまる前に隠れた小部屋のような出っ張り部屋があり、管理人室らしく、鍵がかかっていた。二人、長靴のおじさんが別々に小屋にはいってきて、同じように登山者に一瞥もせず、無言のまま、その隠れ部屋に垂直なはしごを使って登って、もぐりこんでいった。もう、登山者という動物は見飽きているといわんばかりであった。
10時過ぎに外へ出た。50歳前後の男女4人組が到着直後という風情でいた。川原坊を発つ時に、正面コースを出かけていく4人組の後姿をみたが、その一行のようだった。正面コースの方が短いが、時間はかかるようである。一行の男性によれば、“あまりきついので途中で止めて降り始めたところ、下山してきた夫婦連れに、“あとちょっと”と励まされて、気を取り直して登ってきた”ということだった。それをきいて、O庭さんが、おおいにビビりはじめたところを面白がられて、“クマもでるよ”と追加してきた。O庭さんは、“私、山、初めてなんです”などと、口走り始め、21名の中高年一行と同じく小田越コースを下りたいといった。ご冗談を、僕チン、ピストンなんかしたくないもん。てなわけで、そうはさせじと、誘拐するがごとく、刑場へ引き立てるがごとく、正面コースへとせきたててしまう。
下山道は、たちまち、大小の石だらけの岩地の急降下となる。霧の合間にみえかくれする下山コースはそれがかなり下まで直登ならぬ、直降であることを示していた。地図でもケバケバであった。霧の中には特異な形をした大岩がそこかしこに立ち現れた。結局、8合目まではジグザグ道で、石の上をバランスをとりながら下った。頂上稜線は、ががたる巨岩が縦に、斜めに屹立し、そのシルエットは古城のようだった。O庭さんは、ストックをつきながらも、かなり右に左に、こけつまろびつ、苦闘していた。道はフェースというか、一応、尾根というか、展望はよく、霧がうすれてくると、左手の尾根の中腹に紅葉が駆け上っている様がみられ、目を楽しませてくれた。ときおり、霧雨になるので、カメラを出したり、しまったりした。新規購入したゴアの上着をなども着て、具合を確かめたりしてもみた。
上から見ると、8合目から下はやや平坦になり、土道のようにみえたが、いざ着いてみると、さっぱり平坦でも土道でもなく、歩きにくい岩だらけの沢道だった。このあたりは頭垢離(こうべごうり)と呼ばれる水場で、昔、修験者がここで頭を洗ったのかもしれない。このコメガモリ沢はたいして水流はなかったものの、渡渉も2度して、沢岸の右を、左を歩いた。岩は霧雨に濡れてすべりやすく、O庭さんは半べそ状態であった。コンディション次第で山の難易度は相当変わり、こりゃ、ちょっとしたトレーニング山行の様相である。例の中高年グループが小田越のピストンをした理由がよくわかった。1度だけ7,8分の休みらしい休みをとった。堰堤が道路のようにみえたときは、勘違いとわかった段階でも、道路が近い事が推測されてうれしかった。最後の100mだけほとんど平坦な土道だった。ガイド地図とぴったり同じの2時間50分かかった。先行した夫婦が到着したばかりのようで、車の周囲で身づくろいしていた。
川原坊から頂上稜線がうっすらとみえたので、写真をとった。夫婦は休んでいるのか、なかなか出発しようとしなかった。O庭さんがばてているようなので、今度は私がハンドルを握った。走り出してしばらくして、O庭さんが、“冷えるから窓を閉めて”といった。初めて、運転席の窓が少しあいたままだったことと、O庭さんが気分が悪そうなのに気が付いた。それでも、O庭嬢は、若さというべきか、うどんを食べて、花巻温泉に浸かる頃には、元気になった。気が付けば、私はパンツから靴下まで山道具屋で購入した速乾性の衣類を身につけていた。ずぼんは表面はびっしょりぬれていたが、中は乾いており、冷えなかった。天候が悪い場合には衣類が、結構、ウンメイをわけるところがあるのだろう。
花巻温泉から高速を150km、2時間で仙台駅に到着した。始発臨時のガラスキ新幹線で座れて帰れる幸運を喜び合った。帰宅後、日本100名山の早池峰の項を読んだ。早池峰山ではなく、早池峰が正しいとのこと。うむ、納得じゃ。
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