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中 国 紀 行 雑 記
中国紀行書きかけで、司馬遼太郎調と劇画(椎名誠)調が混在しています。最後のパンダ考は、読んだ友人から、どのような人々に送っているのかと懸念する声が届いておりますが、私としては学術的に書いたつもり。あとは、読む人の心の次元次第。
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中国は四川省成都、上海からほぼ真西へ飛行機で3時間、西南部の奥地である。チベットのラサへ入る時に通過する街でもある。中国の街は時代によって頻繁にその名を変えていくものが少なくない。西安、北京しかり。その中で、この成都だけが古代から一貫して変らず、三国誌においても成都である。そのことは、この街の地方における変らぬ重要性を示しているとも考えられる。しかし、中国ではこの街をチャング−(Changu-du)と発音し、欧米の旅行者もそれに従う。したがって、「成都」を、"seito"と呼んでいるのは日本人だけであろう。
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最初、成都に足を踏み入れると、このような奥地にこのような人の多い、活発な大都会があることに驚かされる。ほとんど、上海の喧躁を凌ぐかと思われるほどだ。しかし、上海よりも暖かく、5年ぶりの降雪に見舞われた−7℃の都会から訪れると緊張した体の弦を緩めめられるように感じられ、単純に嬉しかった。一般に気候は温暖ということであり、田園風景は青々としている。畑をかなたまで埋めつくしている野菜の緑は日本のものよりも鮮やかで、恵まれた気候と豊穣な大地を思わせる。
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峨眉山は下から歩いて攻めて行くル−トがありますが、「今回は止めてほしい」と旅行社のたっての願いで、雪深い北側斜面をバスで巻き、2500mまであがってしまいました。歩くのは標高差500m、約2時間半。頂上が近づくと南斜面の熱を受けるのか、風が強いせいか、却って雪は少くなりました。頂上には宿坊があり、大勢の僧侶が起居しているわけで、なかなか立派な建物あり。ベッド付個室などに案内されたときはヘーと思いましたですね。夜道をすべらぬよう注意して向かった離れの体育館のような食堂で夕食。ほとんど吹きさらし。手袋をとって箸を握るのがつらく、羽毛服に手を差込んでは温めて隙をみては箸を伸ばす寒さなり。オイリーな四川料理が、例の通り次から次へと運ばれるてくるのですが、その皿の縁からミシッという音とともに具が氷ついていく様をみていると、急いで食べなくっちゃという現実的なせわしさに追われながら、自分の細胞の一つ一つも氷っていくような恐怖を感じるのでありました。リクエストしたラーメンは、ほぐすことができず食べられず。ビールはfrozen
beerと化し、年越しの乾杯もできなかったのでありました。
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ところが、そんな山のテッペンのベッドに何と電気毛布がひいてあるのですね。「上に物をのせて置いて温めてください」というガイドの言葉にさしたる疑問も感じず、いわれた通りにしましたです。それで、ホカロンをおなかに抱え、ウールのシャツに毛のセーターを着込み、毛糸と綿の靴下を重ね着し、この日のために年末に鶴見の石井スポーツで買った4シーズン用寝袋に潜り込み、上に羽毛服をかけて、毛の帽子をかぶって、万全を期しました。そして来べき92年が良い年であること願いながら例の通り3秒間で良い子の睡りについたのでした。
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しかし、何ということでしょうか。時間の経過とともに、寝袋の中はモアンモアンと熱があがってきたのでした。ねぼけまなこで、羽毛服を蹴落し、ホカロンをほうりだし、帽子をぬぎすてました。そして、靴下を両足を器用にすり合せてぬぐ頃には事態のただならぬ様相にようやく覚醒してきました。上半身を寝袋から這いだして、ゼエーゼエー──と息を吐き、水をガブ飲みしましたです。そして、落ち着け、落ち着け、この暑さは一体何だ、焼死んでしまうではないかと頭をユルユルと周らしてようやく合点。その源は加重によって加熱するという21世紀的不思議電気毛布にあったのでした。闇の中、腕を伸してコンセントを引っこ抜きました。ようやく地獄の暑さというか、脱水による悶死というか、それから逃れたのでした。
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──中国において最も印象的なことは、寒さとともに、人々の勤勉さであろう。
この国では東南アジアや発展途上国を訪れると必ず目にする、街路に三々五々たむろする男たちの姿が見られない。人々はせわしげに自転車を漕いで街路を疾駆している。その間を、まさに発展途上国に特有の傍若無人ぶりの運転をする車が駆抜ける。だから、あちらこちらで自転車同士や車と自転車の事故がおこる。事故がおこれば、ただでさえ罵りあって喧嘩しているように話をしている口調が一層激しくなる。ほっておくと、殺しあいといわないまでも、掴みあい位にはなりそうだ。成都に到着した翌朝、この言争いがホテルの前でおこった。道路の真ん中で最初当事者同士がお互を非難している様子であったが、人の輪がどんどん広がって行った。結末を見届けたかったが、出発時間となり、叶わなかった。
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──私が今回訪れた地方では肥満した者を見かけなかった。中国人は精悍そうに痩せている。あのように油っこい食物を摂取しているのにである。その理由を3つ挙げることが可能であろう。一つは、今や我等日本人にとって半ば美容器具と化した自転車を生活上の必要から日常的に漕ぎまくっていること。二つ目は、あれだけの寒さをほとんど防寒具なしに過ごしていること。そして、最後が、ほとんど喧嘩をしているのでないかと振り返らされしまうような、話をするときの声の大きさである。体のほとんど全精力を傾けているかのようである。これら3点によるエネルギー消費の大きさが今や文明国と称する国々に蔓延している成人病を防いでいることと推測される。
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そして、四川省といえば四川料理、それから何でしょう。そう、パンダですね。四川動物園には10頭前後のパンダがいるそうです。まだ、あけきらぬ朝靄の四川動物園へ。パンダ小屋へ直行。あっけない程、すぐそこにパンダがいた! オリの格子の間から毛皮をはみださんばがかりにすりつけて、交わす目と目の愛らしさ! そうなのだ、パンダというのはまさにこういう動物なんじゃ(それなのに、あの上野の隔離ぶりときたら・・・)。すぐ隣は、塀と溝で仕切られた丘の屋外運動場。パンダは人なつっこそうに溝に降てきてナアニというように粒らな瞳で我等を仰ぎみるのでした。両足を前になげだしてお座りして。パフパフと吐く白い息に手が触れそうでした。女性陣からはキャーかわいい−!の叫び声というか、ほとんど絶叫。私もシャッタ−を押し続けたのでした。
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ふと気付くと、そのなげだした両足の間に茶色の座布団のようなものがみえます。この寒空になかなか暖かそうです。パンダは痔なので、座布団をもち歩いているのでしょうか? いやいや、それはキンタマなのでした。大熊猫パンダは熊科でも猫科でもない。狸科だ!と一大発見をしたように思いました。また、私、子供達のアイドルのパンダがそのような立派な持ち物を持っていることにパラドキシカルなおかしさを感じると同時に、とても嬉しかったですね。何故なら我が愛するマウンテンゴリラは254頭の生存しか確認されていず、絶滅の危機にあると考えられていますが、根拠の一つに図体に似合わないその貧弱さが挙られているのです。パンダはこれで安泰じゃ!と思ったわけですネン。
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しかし、帰国後つらつらと写真を検討してみると、その茶色の座布団の上にV字状にソックスのようなものがのっていて、両端がピンポン玉のようにふくらんでいるのを発見。最初、「随分変わった竿だ」と思いましたが、よく考えてみると、竿がそんなに東西に別れている筈もなく、これがキンタマであると断定せざるを得ませんでした。「座布団」はシッポだったんですね。であるからして、やはりパンダもまた、絶滅の危機にあるチン獣であると考えねばならず、憂鬱なことであります。
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