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シャモニ氷河滑り三昧
4月末 第1日目
9:40 Pari発―Annecy/St.Gervais経由―17:40
Chamonix到着
パリでの仕事を終え、シャモニへ向かう。パリでジュネーブからのバス便が調べられなかったので、憧れのTGVに乗った。新幹線に乗っている日本人には、TGVは軍用列車のように無骨で汚れているように思われた。2度乗り継いでシャモニへ到着したのは夕方になっていた。
投宿したHotel L‘Arveのベランダからはモン・ブランの展望が良かった。19:00ガイドのエリックが4歳の女の子を連れて、ホテルへ来た。エリックは角ばった顔で、アラブ系のように、彫りが深く、眉が濃かった。ピアスをしていることが、私の目には珍しかった。ホテルの玄関脇に貼ってある立体地図を示しながら、「1日目はヴァレー・ブランシュ、2日目はアルジャンチエール小屋に入って、翌日、コル・デ・パッソンを越えて、ツール氷河を考えているが、天気次第である」ということだった。曇っていたが、天気は良さそうだという。スポーツ用品店に行き、スキー板とシールを3日間レンタルした。アイゼンはエリックが貸してくれるという。ホテルで鍋を借り、ガスバーナーはベランダで使うという約束で、使用許可をもらう。夕食はサラダにレトルトのご飯とカレー。
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モンブランとエギーュ・デュ・ミディ
(氷河雪面はバレー・ブランシュ)
ルートはエギューユ・デ・ミディをおりて
モンブラン・ド・タキュルの裾を巻いて左手の
イタリアとの国境方面へ抜けた。
第2日目 快晴 バレーブランシェ
9:00出発―Aiguille du Midi(3842m)―11:00スキー板をつけて出発―Vallee
Blanche源頭をトラバース―11:30
シール歩行開始―12:30〜13:00
休憩―13:00 滑降開始―14:30〜14:50休憩―15:25
Mer着―16:25 Chamonix駅到着
エギ−ユ・デュ・ミディにロープウエイで登った。透明感のある蒼空に、モン・ブランの3連にピークが連なる白い稜線と、モンブラン・ド・タキュルのそそりたつ蒼い岩壁が、美しさを際立たせていた。山頂から南側にスノーリッジがヴァレー・ブランシュへ下っていた。手すりにつかまりながら200m程、降りてから、平坦な中段でスキー板をつけた。エリックは登ってきたガイド仲間に挨拶していた。このうち一人が、背負っていたギターを陽気に弾き出した。ツアー中、ずっとギターを背負っていたのだろうか?!
いよいよ板をつけ、一段、慎重にすべり降りた。下の雪原に降り立った所で、突如、前方にヘリが舞い降りて来た。死角にいたのか、私が気がつかなかっただけなのか、前方に2,3名の登山者がかがみこんでいた。ヘリは手際よく彼ら乗り込ませるや、たちまちの内に飛び去って行った。登山者がどこから湧き出て来たかと思ったが、ふと見れば、右上に小屋があった。コスミック小屋に宿泊していた登山者だったのだろう。
ヴァレー・ブランシュに直接滑り降りるメインストリートを左に分け、右手のモン・ブラン・デュ・タキュルの裾を巻くように滑ってから、シールをつけた。モン・ブラン・デュ・タキュルは光の中に蒼く鎮まり、無言でそびえていた。“こんなに美しい氷壁があって良いのだろうか”と、頭の芯が痺れるような気がした。ゆるやかに高度を稼ぎ、小1時間ほど源頭をぐるりとトラバースした。尾根を越えたところで、エリックは、「そこがイタリアとの国境だ」と言った。指差した方向にゴンドラ駅(Pl.
Helbronner)があり、頭上のロープにはゴンドラが3個、手持ち無沙汰にぶら下がっていた。冬季はロープが凍ってしまうので、夏季のみ運行されるそうだ。
一休み後、ヴァレー・ブランシュへ下る。斜面は広大で、“さてえー、滑るでえー”と、気分ばかりが乗るが、エッジを引っ掛けてひっくり返ってしまった。雪がいわゆる最中のようである(フランスでは、“最中”は何というのだろうか)。雪質に慣れないのか、スケールの大きさにまごついてか、腰がひけてしまうようだ。エリックは、“なんて下手なの!”という顔をして見ていたが、そのうち、携帯電話を取り出して、谷間に響くような声で話しながら余裕で滑り始めた。“ガイドは携帯電話が好きである”という私の持論が、フランスでも実証された。
エリックが携帯電話の相手として、当面、思いつくすべての者に話し終わった頃、さすがの劣等生にも学習効果が現れ、何とか雪質に慣れた。氷河の底まですべり降り、ヴァレー・ブランシュに合流した。しかし、滑り良かったのはそこまでで、たちまち、セラック帯になってしまった。エリックは安全なゾーンを縫うように慎重に板を滑らせ始めた。ルートの上方でクレバスの底を覗き込みながら写真を撮っているスキーヤーがいた。蒼氷の別世界があるのだろう。
セラック帯を越えて、ようやく安全圏に入り、平らな雪原で一息ついた。左岸をあおぎみると中腹にはトレースが横に走り、岩陰にルカン小屋(Ref.
du Requin)が見えた。シャモニ針峰群からの下山ルートになっているとのことにて、数名のスキーヤーが滑っていた。小屋から氷河へ降りて来るトレースも見えた。
雪原ではジルというガイドが客の中年の男性と休んでいた。ジルは昨年、ASCのツアーガイドをエリックとともにしたそうだ。ジルに赤ワインを勧められたが、私は自分のスキーの腕前を考えて遠慮した。私からは好物の濡れ煎餅を皆に進呈したが、誰も一言も感想を言わなかった。好物の食べ物をあげて、お世辞の一言も頂けないというのは、かなり悲しいことだった。
その後は、ダラダラの斜面で、時折、漕ぎながら、ただひたすらに下を目指した。時期的にシャモニまで滑り降りれないそうで、岩まじりになったところでスキー板を脱いだ。ここは氷の海(Mer
de Glace)という場所で、海というよりは大河の末端のような所だ。本日は約20kmすべったとのことだ。乗り物を乗り継いで来た観光客が氷河トンネルの見物をしていた。崖にかかった、蜘蛛の巣城のような204段の階段をゆっくりと登って、ゴンドラ乗り場へたどりついた。モンタンヴェールMontenversでゴンドラから赤いメール電車へ乗り継いで、シャモニへ下って行った。エリックとジルは車を取りに走り、10分程で戻ってきた。
夕食はレトルトの発芽玄米ご飯とビーフハヤシにハムやサラダ、ヨーグルトを食べた。ガスボンベとバーナーのマッチングが不良で、交換してもらったが、やはりすぐ火が消えてしまい、苦労した。
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コル・デ・パッソンにて
クーロワールを登った所で
アルジェンチエール氷河を足元にして
第3日目 曇のち快晴 アルジェンチエール小屋へ入る
9:00出発―Les Chosaletsのロープウェイ山麓駅―10:30
Grandes Montets頂上駅のコルからGl.du
Algentiereへ降りる―11:00
歩行開始―12:05 Algentiere小屋着―13:10
Gl.
du Amethystesへ出発―15:00小屋帰着
朝、起きると山に雲がかかっていたが、迎えに来たエリックは晴れると言う。シャモニの北部のグラン・モンテスキー場へ霧の中を走って行く。駐車場に着いた時には、予言どおりの絶好の好天気となっていた。
ロープウェイで標高3297mまで登ってグラン・モンテスキー場へ到着。展望台へ出ると、南側はモン・ブランの白いスカイラインが蒼空を画し、眼下にはアルジャンチエール氷河が平坦な氷面を奥へと延ばしている。板をかついで鉄骨の階段を70m程、降りた。降りた地点から右手に下ればピステ、左手はオフピステである。コルで板をつけ、左のアルジャンチエール氷河へと、標高差700mを滑り降りた。
平らな氷河の真中でシールをつけようとしていると、轟音が谷間に鳴り響いた。振り返ると、今、滑り降りてきたコルから奥のエーギュ・ヴェルトAig.
Verteの稜線に雪煙が立って、それはこちらへと駆け下って来た。立ち昇る雪煙の規模は感動ものだった。エリックは、当初は頚筋をまっすぐに立てて警戒するプレーリードッグのように雪崩を見ていたが、突然、血相を変え、「早く移動しろ」といって、私のザックを持って雪崩と反対方面へ逃げるように走り始めた。私がよろよろと数歩移動した時に、幸い雪崩は中腹で止まってくれた。
氷河をななめに横切るように奥へ遡行し、右岸にとりついて進んだ。昼頃、アルジャンチィエール小屋に到着。氷河の日差しはいつのまにか強烈さを増しており、ひどく暑かった。私は、下はタイツ、薄地のフリース、スキーズボン、上はオーロンの下着、丸首シャツ、スキージャケットを着ていたが、小屋に着いた時には45度の湯舟から引きずりあげられかのようにびしょ濡れになっていた。“このように汗をかいては不健康だ”と、しばし呆然としてしまう。野菜スープを飲んで、電解質バランスが補正されたのか、人心地がつく。
時間に余裕があるので、アメチスト氷河に滑りに行くことにした。アメチスト氷河はアルジャンチエール氷河の右岸に刻まれた谷の最奥のものの一つである。暑さに懲りて、上はオーロンの下着
一丁、下はタイツに直接スキーズボンをはいて出かけた。予想通り、頭の真上から降り注ぐ太陽と下からの照り返しは、激しい光と熱の矢のようだった。途中でオーロンの下着に2カ所、穴があいていることに気がついた。ガイドを驚かせる(喜ばせる?)ほどの大きさではなかったが、良い風抜きになったことだろう。氷河の上部は雪質が悪いとのことで、中段で引き帰した。右岸には茶の岩壁がダイナミックにかしぎ、節理模様が美しかった。
アルジャンチエール小屋は夕刻になると、週末の客が続々と押しかけ始めた。アルジャンチエール針峰へ岩登りに来た登山者も少なくないようで、腰のハーネスにギアをジャラジャラとさげた人も多かった。そんな恰好をしたフランス娘は、自信に充ちて颯爽としており、恰好が良かった。次から次へと到着するスキーヤーや登山者の、さまざまな格好や様子を見ていることは楽しいものだった。また、右手の岩陰から模型飛行機が現れ、座席には良く出来た人形が座っていた。しかし、それは人形にしてはよく出来すぎていた・・・。それらがミニチュアではなく、本物であることを自分に納得させるのに、しばらく時間が必要だった。飛行機は氷河の中ほどで頼りなげな蚊とんぼのような小ささになって、ぐるりと方向転換し、雪面にきれいなU字型を残して飛び去って行った。
夕食は2交替で行なわれた。隣はイギリス人の夫婦で、ガイドとともにオートルート縦走をするそうである。スキーはいつもツエルマットに行くということだった。日本人は私だけかと思っていると、夕刻遅く、日本人男性の4人組が到着した。ツエルマットとカナダ在住のガイドで、カナダに帰化した方もいた。彼らは、午前中にヴァレー・ブランシュを滑って来たそうである。明日は、通常2日行程のモン・フォの小屋まで行くとのことであった。プロとはいえ、タフなことである。
眼前の広大なアルジャンチエール氷河の真っ白で無垢な雪原と、その向うにそそりたつ氷の伽藍のような岩峰の連なり。それは氷河の最奥部をぐるりと取り囲み、イタリア、スイスとの国境を形成している。これらの岩の稜線と雲とのなす造形は眺めていて、飽きるということがなかった。
黄昏が近づくと、稜線に雪煙が立った。雪煙は逆光を受けて後光のように黄金色に輝き、凹凸のはっきりした稜線をなぞるようにたなびいた。昼間は雲がまったくなかった谷に、いつのまにかおぼろ昆布のような雲がうっすらと無重力的に漂っていた。岩峰は陰影を深くし、いっそう深い沈黙の中に鎮まって行くようだった。このような黄昏がとっぷりと夜の闇に沈む様を、赤ワインでも嘗めつつ見届けたかったが、エリックが休むようにと言いに来た。大人たちが楽しそうに夜更かしするのを横目で眺めながら、夜の8時に床につかされる小学生のような無念さを感じた。しかし、心を残すというのも、また一興であろう。
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ツール氷河セラック帯を背景に
第4日目 快晴 ツール氷河を滑る
6:00起床―6:50 Algentiere小屋出発―7:40斜面に取り付く(2400m)―9:10〜9:20休憩―9:55〜10:10クーロワール下で準備―11:00〜11:30
Col du Passon(3000m)―Gl
du Tour 滑降―13:15
板を脱ぐ―13:30Tour集落駐車場
朝起きると、まだ薄暗かったが、出発する頃には、すでにほとんどの登山者が出払っていた。外に出ると冷気につつまれ、前の斜面は凍っていた。横滑りしながら降りていく者もいたが、エリックは途中まで板を持って行き、そこで板をつけてから氷河へ降りるというコースをとってくれた。視界は良好で、シャルドネのコルの入口が右手に見えた。コルへの斜面は黒っぽく、下から板を背負っている隊と板をつけている隊が半々位だった。そこを通り過ぎると、早朝の氷河に人影はなく、だった広い氷河をエリックは気持ち良さそうに弧を描いて滑っていた。しかし、雪面は硬く凍っており、錯綜するトレースに足をとられ、意外と滑りにくかった。グラモンテとの合流点を過ぎ、標高差で小屋から300mほど下り、クレバス帯に入った。左岸を、クレバスの縁を横滑りして行く。エリックは右岸の斜面にコル・デ・パッソンへ登るルールを目で探し求めていた。ようやくルートを決定したらしく、“ふん、ふん”というように指先で遠い斜面にジグザグを切ってから、右岸へと氷河を横切り始めた。手前にもコル・デ・パッソンへとりつくルートがあったようだが、下からジグザグを刻んでいく安全なルートを選んだようだった。斜面の基部でシールをつける時に、私にはクトー(スキー用アイゼン)を使うように指示したが、エリック自身は最後までつけなかった。
7:40、標高約2400mの地点から斜面にとりついた。遠目にはわからなかったが、ジグザグのトレースがついており、登りやすかった。シャモニの谷をはさんで対面する山々がモルゲンロートに染まり、刻々と色彩を変えて行った。9:00過ぎに、三方を稜線に囲まれた小さな盆地のような所に着き、一休みした。右手の稜線に7,8名の人のシルエットが見えた。手前でこのルートにとりついた登山者らしかった。手前ルートをとる人の方が多いらしく、私達のルートは前後に人がいなかった。盆地を右から回りこむようにトレースし、盆地を囲む壁の基部にたどり着いた。途中、2ヶ所の斜度の強いコーナーで、エリックが私の下に回って、仁王立ちして、サポートしてくれた。
壁に沿って左へ進むと、コル・デ・パッソンの取付き口に近づいた。そこでは、10名程度の登山者が身づくろいしており、混雑していたので、私達は手前で荷物を下ろした。ザックに板をV字にくくりつけ、アイゼンをつけ、アンザイレン(ロープで繋ぎ合うこと)した。いよいよ、日陰になっていた基部から、明るい朝日の中へ歩み出て、切り立つ雪のクーロワールに取り付く。ワンステップづつ、慎重にステップを置いていく。ある時のステップは深くもぐり、ある時のステップは浅い。斜面が立ってくると、浅いステップになり、エリックのアイゼンを履いた靴底が私の頭上にあるのが見える。“3000mだもんなあ”と、ぜーぜーあえぎながら、前かがみになると、スキー板が斜面についてしまう。
斜面はあくまで切り立っており、ルートは左右の岩に寄ることなく、ひたすら上へ上へと向かっている。頭上には蒼天があるばかりで、ルートの様子はわからない。
高くなってきた日の光を背に浴びながら、“いい加減、そろそろなんじゃないか”と思い始めた頃、空が広くなった気がした。ふと稜線へ抜け、青空へ躍り出た。標高3000mのコル・デ・パッソンに着いたのだ。左右に連なる茶色の岩稜が、そこだけ切れて、雪原になっており、反対側は一大パノラマが開けていた。「オートルートか」と、尋ねたが、北西の山塊で、北のオートルートは見えないとのことだった。
30分の休憩後、出発。稜線の縁まで行って、いざ、これから下るというツール氷河を目にした時、思わず歓声をあげてしまった。“切り立った崖になっていて、滑り始めは怖いことであろう”と、漠然と思っていたのに、そこには足元から白いシーツをぱっと投げ広げたように、視界一杯に白い雪面がゆるやかに広がっていたのである。
エリックは、“これぞ人生至高の喜び”というオーラに包まれながら、飛び出して行った。悠然と左右に弧を描いて滑るその姿は、あっという間に黒いゴマのように小さくなった。後楽園ドームのような広さの雪原は、幕を何枚も開いていくように、何段も続いていた。しかし、私には見た目ほど甘くなく、最中になっており、エッジをひっかけて顔面制動したりしてしまった。それでも、慣れてくると雪質も良くなり、“本ツアー最高の滑りじゃ”という感じで、ターンが決まり始めた。ようやくエリックが、“まあ、やるじゃん”みたいな顔をしてくれた。
400m程、滑り降りると、クレバスとセラックがあり、斜面は急になり、凹凸が出てきた。途中の、一段平らになったところで、3人の先行パーティが休憩していた。少し窪んだ斜面に凹凸があり、油断してエリックを谷間で見失ったりしたが、すぐ姿を現してくれたのでほっとした。
急斜面帯を終えて左にトラバースして行き、沢筋を横切る所にステップがあった。3人パーティは軽やかにジャンプして行ったが、私は転んでしまい、なかなかリカバーできず、もだえてしまった。右手に尾根を巻くようにして広い沢に出る所のルートが急で狭く、慎重な横滑り操作を必要とした。エリックは河原の雪の残っている所を執拗に選びながら、ツール集落を目指した。最後の300mは、石と藪の間を、体をこんにゃくのように、ねじったりかがんだりさせながら滑った。枝にひっかかったり、根にスキーの先端を取られては騒いでいる客のことを、最初のうちこそエリックは心配している様子だったが、そのうち、もう付き合えないと思ったのか、振り返らずにさっさと行ってしまうようになった。ついに、“これ以上、スキーで行けない、ジ・エンド”という感じの草付で板を脱いだ。板を担いでいくと駐車場まで10分という近さだった。
エリックは、「車を取ってくるから30分待っているように」と言い置いて、走り去った。スキー靴をぬいで、充足感と開放感にひたりながらストレッチをしていると、どこで追い越したのか、3人パーティが横を通り過ぎて行った。ドイツ語を話す3人娘だった。標高差1600mの滑り。天候に恵まれてラッキーなツアーだった。
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ツール氷河を滑り降りて
ほっと一息ついたところ
第5日目 ジュネーブ観光して帰国
7:00 Chamonix発―8:50
Geneve着 ―20:30
Geneve発Paris経由帰国。
早朝のバス便でシャモニーを発った。ジュネーブに9時前に着き、思いがけず、「地球の歩き方」を片手にジュネーブ1日観光をすることになった。あいにく月曜日で、美術館は休館だったので、国際連合見物に行き、ついでに近辺の赤十字博物館とアリアナ美術館を観て回った。アリアナ美術館の建物の歴史をしのばせる壮麗さに、ヨーロッパの底力を感じさせられた。最後に、にぎやかなローヌ通りで人並みを眺めながらヨーロッパのアイスクリームの食べ収めをし、お釣に渡されてしまったスイスフランを空港でチョコレートを買って使い切り、今回の旅を終えた。
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