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正月の西吾妻山
(メールからの抜粋編/’99.12.31〜’00.1.3の記録)
さて、2000年を迎えるこのお正月は 私は米沢(東京から2時間!)の白布温泉西屋旅館で迎えたのであります。いつもながらに計画の出足が遅く、乳頭温線は満員でとれず、F田が必死で探し出した宿でありました。それも、特上の“離れ”しか空いていないということで、山屋さん達にしては希な、1泊2万円也の豪華ツアーとなったのであります。
大晦日はとっぷり暮れ落ちた白布温泉に夕方6時過ぎにたどり着く。闇の中の見知らぬ温泉地に一人で到着するという心細さも、また旅情のうちであろう。F本君は朝到着していたが、宿で一風呂浴びたらそのままリラックスバージョンに入ってしまい、天元台スキー場に行かなかったとのこと。そういう湯治気分にさせてしまう日本旅館なのである。S木氏は横浜から、F田親子は京都から飛行機を使い、それぞれ、夕方までに到着したとのこと。
温泉場に入る手前の、廊下の板敷きの下をお湯がとうとうと流れている。風呂場では、打たせ湯が黒い岩壁から吹出しており、噴出口の高い板塀から白い雪が覗ける。荒けづりの温泉の風情もなかなかで、高級旅館の中に東北の湯治湯がそのまま残っているという感じである。夕食後、酔っぱらってしまい、部屋に飛んで帰って、8時過ぎだったが、そのまま蒲団の中にジャンプしてしまった。“ミレニアムになってしまうよ”と、起こされたのは12時少し前。全員が襖を隔てた隣室でこたつに入っていた。鼾をかいて爆睡していなかったか、ちょっと心配である。TVは紅白歌合戦のフィナーレか? F田さんのお嬢が携帯で新年の挨拶を送りまくっていた。最近の高校生の生態観察は、ツアーのなかなか面白い余録であった。
元旦は天候不良。ゴンドラ終点には年越し酒を振る舞ったと言う小さな社があった。天元台スキー場は、視界不良。思わず本日の無事を祈願してしまう。
第3リフトの最終点まで乗り継いでいく。ここは標高約1800m、地図では北望台、ガイドブックには貝り坂と記されている地点である。リフトの番人小屋で、登山者名簿に記入する。本日は登山者はゼロとのこと。管理人が迷惑そう、かつ、胡散臭そうに我らを見ている。ここから、日本100名山の西吾妻山標高、2035mを目指すわけである。“遭難が多い。冬山装備の登山者以外の入山を禁ず。”などと、不安にさせるような看板がこれ見よがしに立っていた。F本と私は山スキーを、残り3名はワカンをつける。11時半出発。
雪はひたすらに、しんしんと樹林に降り積もっている。まづは、急登。トレースはまったくないが、F本は知っているかのように登って行く。ポールライン(尾根筋)がどうのという理論よりは、この人には動物的なカンが備わっているようである。樹氷の樹林帯は幻想的だ。木立が、降り続く雪を丸く、布団のようにまとっている。スキー隊もワカン隊も、深雪にそれぞれに難渋する。それでも、なんとか、尾根筋まで小1時間であがった。人形石という、目標に遠からぬ所にちゃんと出ることが出来た。さすがF本リーダーである。
“エビのしっぽ”(風向きに沿って、エビの尾状に凍りついた樹氷)がびっしり、見事についている。それだけ、冷え込みと風が厳しいのだろう。濃霧でオリエンテーションがまったくつかない。以前、来たことのあるメンバーもいない。F本愛用のGPSの調子も悪く、尾根を越してしまったと表示されており、200mはづれているとのこと。下山することとする。
入り組んだ樹木の森の深雪をシールをつけて制動をかけながら降りた。ゲレンデに戻ってくると、人里に復帰したという気がする。そして、俄然、スキー隊がワカン隊に対して優位に立ってしまう。と思ったが、意外と2本足隊は装備の着脱に時間をとらないせいか、足が速かった。第2リフトと第3リフトの間のゲレンデにホワイトというロッジがあった。ここのココアはクリームが塔のように浮んでいて、こくがあり、冷えた体を温めてくれた。
2日は打って変わって、青空がみえる。さすが天気の神様の申し子、F田が参加しているだけのことはある。F田大明神さまさまじゃ。S木氏が2000年問題で出社のため今朝帰京、O森さんが昨夜到着、お嬢はスキースクールで個人レッスンを受けるため本日はゲレンデ。で、F本リーダー、山ボケ猫のスキー隊、F田、O森のワカン隊の総勢4名が本日の登山隊メンバーとなった。
前日と同様に11時半リフト終点を出発。樹氷の森の斜面を登る。昨日ほど樹木の雪布団が厚ぼったくなく、樹氷の合間から空がみえる。樹氷の森はところどころで、たわわに雪を含んで、しだれた枝がつながり、トンネルを作っている。樹氷の背は高く、小人になったような気分でトンネルを抜ける。
尾根に出ると昨日とは打って変わって眺望がある。微風。春スキーのような天候。一冬に1日あるかないかの晴天だ。右手に、西吾妻らしい丸いドーム状の山頂が、中大巓のピークを一つはさんで眺められた。元気溌剌で出発じゃ。
人形石からのルートはなだらかだ。広大で、真っ白な雪原を横切る。その雪原に、手前の樹氷は大きく、遠方の樹氷は小さく、それぞれ散らばり、忠実に遠近をあらわしている。南八甲田の櫛が峰に向かったときの光景を思い出す。樹林帯の中に一人分のトレースがあったが、その人のものと思われるトレースが雪原に一本、意志的に刻まれている。樹林帯では登山靴の跡だったが、陵線ではワカンの跡になっていた。F田が時折、雪の中の落とし穴に腰までつかまってもがく様を冷たく見物する。
中大巓のピークを越す。ゆるやかな勾配の登りと下りが登山にアクセントをつける。ピークを示す凍てついた道しるべが、神々しいモニュメントのように思われる。人気のない、清潔で静寂な雪の世界に陶然とする。
西吾妻への最後の登りは樹氷が密集し、乱立している森だった。その樹氷林は、素朴に手をあわせているお地蔵さんが、いっせいにこちらを向いているようにも見えた。少しでも平らでルートになりそうな雪面を探しながら、ルートを見定め、それでも結果的には闇雲状態になって、お地蔵さんの群をかきわけて行く。お地蔵さんは、遠めに見たよりは背が高かった。ころんだり、落とし穴に落ちたらリカバリーが大変そう。スキー隊もワカン隊も、それなりの苦労をする。
山頂付近は背丈ほどの樹氷が一面に棒立ちしており、無数のモアイが天に向かって咆哮しているようだった。樹氷の森は、ちょっとした風向きやの木立の背の高さの加減か、様々な形象を帯びる。恐竜たちが、“どうちたの、どうちたの”と、尾っぽを引き摺りながら右往左往しているように見えたり、それぞれに嘆きや怒りや哀しみをあらわす羅漢の群れのようにもみえた。
頂上からは左手に 安達太良山群が、右端に乳首状の山頂は勿論、鉄山のピーク、沼の平から箕輪山まで同定された。右手の磐梯山は逆光の中に、“こんな綺麗に左右に裾を伸ばしていう山だったかなあ”という感じの、秀麗な形を浮かび上がらせていた。左肩には猪苗代湖が銀色に光っている。
頂上から戻る途上、時間経過とともに雲が晴れ、東吾妻の変化に富んだ、それでもやさしげな山容が、すっかり見通せるようになった。“こりゃ、縦走せねばならん”と、誘うのであった。7,8年前の遭難事故を思えば、そう、生易しいものではないのは明らかなのだが。山容が穏やかであれば有るほど、だまされやすそうな山域といえよう。飯豊、朝日、月山、蔵王などの白い山塊も、左手に、右手に、眺められ、目を楽しませてくれた。飯豊は、ことのほか真近かに、冷気を帯びて凛々しくそびえている。雪原を人形石へ横切る頃には、日が傾き、自分の影と樹氷の影が、無垢の雪に、長く黒々と刻印されていた。
リフト終点には3時半に戻った。結構まじめに歩いて往復4時間だ。ガイドブックでは半日仕事のように書かれていたが、よほど、足早やな人が書いたものか。いづれにせよ、ガイドブックとしてはまずいことである。この日の登山者は、われら4名のほかは2名だった。一人は、トレースを残していたワカンの若い男性で、頂上手前ですれ違った。愛想の良い方で、下から真面目に歩いて登ったようだった。偉い!もう一人はスノーシューの無愛想な単独男性で、尾根に出た頃に後方にいたが、人目(私たち?)を避けるような感じで一時反対方向へ逃げ、その後、私たちが山頂のドームを降りた頃に登ってきたが、視線を避け、挨拶を交わそうとしなかった。3日は天候が悪く、登山者はいなかった様子で、登頂はいづれにせよ難しかったと思われる。とすると、お正月の3日間で西吾妻の登頂者は6名。山と渓谷のお正月の山の特選コースになっていても、山はこんなものだ。
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