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製作著作山ボケ社
無断転載を禁ず

2001年3月八甲田報告



3月17日(土)
 21:30東京八重洲南口発の夜行バスで青森へ。横3列、縦10列で、一見、ゆったりみえたが、最後尾列のみ4人席で、よりによって、そこの真中席に当選していた。幸先の悪い席じゃ。乗ってすぐに消灯となってしまう。その後、一切、人々の話し声や食べたり飲んだりする物音がしない。すっげえバスだ。私は、そんな時間にとても寝付けず、前半は一人、悪戦苦闘してしまった。後半はナントカ、寝たようだった。

3月18日(日)
 朝6時半、気が付いてみれば最果ての地、青森。T橋毅さんが八甲田山荘から迎えに来てくれた。どんよりと雲が重く、時折、ぱらつく中を八甲田山荘に向かう。山荘にて昨日より滑っているASCの面々とご対面。総勢15名、女性は私とN西さんの2名のみ。皆に混じって図々しく朝食を頂いてしまう。外は白く、視界がない。
 9時出発。ゴンドラで上を向かう。ゴンドラを待っている間に、背中のヤッケの橙黄色が、やたら鮮やかで印象的なメンバーがいた。”ザックを持たないなんて、なんてプロフェッショナルなんだろう”と、感心して見ていた。本日のルートはちょろい半日コースなのかなとも思った。上へ着いてから、約1名が下の乗り場にザックを置き忘れてきたことがわかった。黄色のヤッケの髭のおじさん(京都の陶芸家だそうです)だった。20分ほど出発が遅れた。
 この日のコースは赤倉岳をほぼ夏道沿いに登って、井戸岳との鞍部を乗っ越して、北東方面へ箒場岱(ほうきばたい)ルートを降りるという、八甲田を南西から北東へ抜けるコースだった。ホワイトアウト状態でまったくオリエンテーションがつかなかった。土地の人(N山さん)がトップ、ラストをT橋さんが務めた。しばらく歩いてから、右へ120度程度の方向修正をした。赤倉の登りにかかると傾斜がきつくなった。最年長(71歳)の前日本山岳会会長のS藤さん(京都のお医者さん)がしばしば、立ち止まる。10年前のシシャパンマの登頂者も今日は体調が良くなさそうだ。私はシールを効かせにくいところがあってすべるので、一部、勝手にジグザグに刻んで行った。私の場合は、体重の割に板が硬いので、後足を上げるときに後足の板が浮いて不安定になるそうで、柔らかい板にした方が良いらしい。もちろんテクもへたなのだろう。
 赤倉の頂上稜線に近づくにつれて、風が猛烈に強く吹きつけるようになった。頂上直下の、ほぼ登り切ったところで、F岡さんがフードをつけてほしいと希望した。結構、風にあおられて手間取った。そこから西から東へ水平にたどる頃にトップとラストの間が開いた。気が付くと、私とN西さんだけになっていた。"こんなにばらけちゃって、遭難するとしたらこんな時なんだろうなあ"と思った。N西さんも悪い予感がしたのか、振り返って、私と二人だけになっていることに、突然、気が付いたようだった。と、組んだ相手が悪いと、咄嗟に悟ったか、"ヤッホー、ヤッホー"と、必死に叫び始めた。私は、ルート沿いに先行メンバーがストックをさした跡がずっと続いているので、大丈夫と思っていたが。N西さんの体は前のめりになって、歩幅が短くなっていた。こういうときの人の足というのは小刻みで、却って遅くなってしまうのだなあと思った。しばらく行くと、数名の男性メンバーと合流することができた。鞍部をすこし乗っ越したところで残りのメンバーを待って、合流した。ここでシールをはずした。ザックを忘れた例のおじさんが、今度はシールを風で飛ばしてしまい、駆け下りて行った。なかなか戻って来ないので、皆が心配して、”ヤッホー、ヤッホー”とコールしているうちちお、霧の中から飄然とおじさんは帰ってきた。このときはシールを回収できなかったが、あとで下った斜面上に落ちていたそうである。運が良いというか・・・。
 ここから斜面をすべり降りた。視界があればさぞやスキーをエンジョイできたであろう、本日のハイライト的大斜面だった。が、この日は少しずつ、刻んでは降りた。4、500mくらい降りて、風を避けたところで、初めて休みらしい休みをとった。2時20分だった。リーダーのY本さん(櫛が峰のときに同行していた)が、"あと15分くらいでしょ"と、T橋さんに言っていたが、T橋さんは黙っていたようだった。
 そこからしばらく、トラバース気味に進んだが、左斜面が急に落ちている所で、トップが蟹歩きになって斜面を右へ登り始めた。ちょっとやばいルート選定と思った。さらにトラバース気味に歩き始めたと思ったら、今度は、戻って来るではないか。"現在位置がわからない"と、T橋さんにいっている。K林サブリーダーが、"コースは尾根なんだけど。あがってみようか"と、地図を手にしながら戻って来た。しかし、右手の斜面はすぐ尾根に出られそうな様相を呈していなかった。それにしても、土地の人が右往左往する姿は、人々の気持ちを不安にさせる。私たちが完全におんぶにだっこで状態で、身を預けきっていることを、あらためて感じる。T橋さんは"現在位置はわかっている。このまま行っても大丈夫だ"といったらしい。しかし、N山さんは戻ることにしたようだった。後で聞いた講釈によると、N山さんはがれ場のマークを気にして、それを避けようとして東へとるべきルートを南へとってしまっていた。つまり、高田大岳の北西斜面にかかりかけていたらしい。
 少し戻って、距離は短いけれど、斜度がある斜面を降りた。数人がすべり降りたときに、表層雪崩がおこった。厚さ1〜2cm程度のものだが、2、3名が足を流されたといっていた。そこからしばらく行くと、雲の下に出たのか、展望が得られ、広い雪原に出た。標識がみえたときにはほっとした。箒場岱へ出たのだった。そこから予想以上に結構な距離と滑りでがあった。樹林帯の中を突切っていくと、車を置いてあったところに、ピッタリ出た。土地の人の土地感の正確さに驚かされる。時間は4時を回っていた。
 八甲田山荘の名物のビーフシチューがおいしかった。この日はF岡さんが帰京。

3月19日(月)
 快晴だったが、ゴンドラが強風で動かないという放送があった。しかし、9時には運行することに変更になった。この日は手袋をゴンドラ乗り場で落としたおじさんがいて、10分待った。この日のコースは高田大岳という声もあったが、斎藤さんの体調が良くなさそうとの事にて、仙人岱から酸ケ湯へ降りるコースを行くことになる。また、高田大岳をおりると、帰るのが大変という問題もあったようである。この時期、路線バスは酸ケ湯までしか入っていず、シャトルバスも通常は4月からということであった(今年は運行されるか未定とのことである)。バス道路の除雪されたポイントまで車を置いてきておくという手はあったが、当日の除雪ポイントは不明であった。
 ゴンドラ終点駅からの展望は良く効き、GWのときのようだった。昨日たどったルートを解説つきで眺められた。日差しがさんさんと照る中、気持ちの良い斜面をすべりおりて、GWにはみられない樹氷、モンスターの群れの間を縫っていった。宮様ルートにそってしばらく降りてから大岳ヒュッテへと登り返りした。シールをつけるときに、クト−をつけた。大岳ヒュッテは井戸岳と大岳の鞍部にあり、近づくに連れ、風が強くなった。ここは風のメインストリートだ。
 ヒュッテはログハウスの立派でモダンでメルヘンチックな建物だった。ありゃ、2年前もこんだったかなあ。少なくとも3年前はバラック風であったが。休むものと思っていたが、T橋さんがそのまま大岳へ登り始めた。先着していたメンバーもヒュッテから出てきて、後を追った。しかし、T橋さんは頂上へは行かず、中腹で強風の中、シールをはずし始めた。そこから、大岳のとんがり頭をダイナミックに真横にトラバースした。高度感があり、空の中に体が浮いているようだった。半周して反対側へ回り込むと、ウソのように風がなかった。仙人岱がみえてから、すべりおりた。ここで、私ははじめて派手に転倒してしまったが、ビンデイングははずれなかった。先日、ねじをゆるめたばかりだが、大転倒する前にさらにゆるめる必要がありそうだ。
 仙人岱ヒュッテでランチ。番人のようなおじさんが、ストーブで野菜炒めを作っていたが、番人ではなく、このヒュッテに来ることを趣味としている、青森の在の方ということだった。もう一人、娘さんとも奥様ともみえない都会風の女性登山者が、同じ様に無言で、にこにこと座っていた。謎めいていたことではある。
 外に出るとにわかに曇っていた。私は高田大岳や懐かしの櫛が峰の写真を撮っているうちに出遅れる。酸ケ湯へのルートは、陰気な振り子沢で、ガリガリだった。私はボーゲンに横滑りをまぜて、ようやくおりた。50分ほどで酸ケ湯についた。N西さんは、”今シーズンは4回スキーの講習を受けたけれど、今のすべりですべて元に戻ってしまった”と、なげいていた。私は投下した休暇も資金もなかったので、幸いというべきであろう。T橋さんは酸ケ湯で一風呂浴びてからバスで帰るためには、大岳ヒュッテで休んでいては間に合わないと判断して、仙人岱までひっぱたといっていた。でも、本当の理由は、仙人岱ヒュッテに日本酒がデポしてあったためか。
 で、ご入浴してバスでご帰館。この日は3名帰京。

3月20日(火・祝)
 風が一段と強く、展望もきかなかった。ゴンドラは動かず、銅像半日コースツアーを予定していたが、中止と決定。9時半過ぎに八甲田山荘を後にして、青森市内観光へ向かう。八甲田山死の彷徨の歩兵隊のお墓は雪の下だった。棟方志功記念館は休館だった。商売気のないことです。で、見物できたのは三内丸山遺跡の雪に埋もれていない部分だけだった。壮大な規模ではあった。駅のそばの西村という料理屋さんで刺身といくら丼を掻き込んで、空港へ。一便繰り上げて2時40分の飛行機で帰京したのであった。

情 報
 今回、一緒に帰京したS藤さん(九段の本屋さんでトライアスロンマン)は八甲田山荘のA沢さんの口利きで、3泊4日往復飛行機で5万円で来ており、2泊3日片道バスの私より安かった。A沢さんを通すと、飛行機は早割でも(空席がありさえすれば)変更可能だそうです。A沢さんはJASの青森支店長だったそうで、顔が効くそうです。皆さんも、次からはこの手で行きましょう。でも、今年のGWは木風舎が全館全期間貸切っているとのことでした。


山ボケ猫 著